
Manako Ihaya, with ATA certification to translate from Japanese into English, has been an ENG <> JPN freelance interpreter and translator for over three decades. Once a journalist in Tokyo, she served as the Editor of the JLD Times and, more recently, as an ATA Director. The longtime Japanese-into-English grader looks back on how she connected with her colleagues and volunteered for roles at ATA and JLD, what she got in return, and what she expects of others for the good of our community and industry.
①どうしてJLDに加入したのか。
1995年に日本から米国に引っ越し、4人目の妊娠もあり経済的にひっ迫しており仕事を探した。当時はインターネットもなく、電話帳(Yellow Pages)でTranslationの項目にある人にかたっぱしから電話をかけた。
そのうちの一人が日英の翻訳者でATAのことを教えてくれたので、ATA本部に問い合わせパンフレットを送ってもらったが、入会したのはある程度収入が安定して会費が払えるようになった1999年。また日英のエージェンシーのコーディネーターからはHonyaku Mailing List[1]やIJET[2]の情報をもらう。同年にJAT[3]にも入会しIJET Austinで認定試験を受験し合格。このIJETに参加したときに初めて、対面で多くの翻訳者・通訳者と話し合える機会があることを知り、愕然とする。それまで一人で細々とやっていたのが、多くのつながりができて非常にうれしくなり、それからATA/JLDやJATにのめりこんでいった。
Honyaku Mailing Listのメーリングリストで知り合った人たち(Bill Lise、Selland Naokoさんなど)に、初めて対面したのもIJET Austinで、議論した仲間と初めて会うこととなった。
②Director、CommitteeやGraderなどのボランティア活動に参加した理由は何か。どのような役割を果たしたか。覚えている場合、活動時期はいつからいつまでだったか。
Editor:前述のIJETでJLD TimesのEditorにならないかと、Gerry Goodingから勧誘を受けた。
Japan Times Weeklyで1994年まで編集記者として勤務した経験があり、退職してからそれほど時間がたっていなかったので、編集やレイアウトの仕方を覚えていた。似たようなことをやらせてもらい、楽しかったし、私で良ければやりたいと思って始めたのでうれしく思いながら続けていた。
当時はまだ紙の媒体だったので、私がJapan Times Weeklyで知ったやり方を説明して、石井 秀樹さんがタイプセッターとしてレイアウトや配置、グラフィックも細部まで細かくこだわり、見た目も美しく仕上げてくださった。(ちなみにJapan Times Weeklyでは専用の部屋でナイフを使っての切り貼りの頃からやっていた。)そういった意味でも懐かしくやりがいがあった。
1999年~2001年まで務めた。
Grader:2008年3月にJim Davisから勧誘のメールがあったのがきっかけ。Jimは5月にグレーダーを辞任するところであり、後任を探していたのだった。前後してDavid Newbyもグレーダーとなった。
他にJATの理事(2006年~2010年)や理事長 (2007年~2009年)も務めたが、すべてボランティア活動は他の人から指名されたり要請を受けて引き受けた。ちなみにJATの理事長在任中は子供もまだ小さく翻訳が中心で、通訳をボチボチやり始めたのは2000年くらいからだが、家庭のこともあり度々出張に出られなかったので、初期はATAカンファレンスやIJETにもなかなか行けなかった。
Honyaku Mailing ListではJohn De Hoog (天河航)やKyle Wrightと共に積極的に参加した。
ATA Director:他のDirector同様、指名を受けて立候補した。
③どのようなことが印象に残っているか。
特に世話になったのが、Gerry Gooding[4]。地理的にも近く家族ぐるみでの付き合いをしていた。認定試験では導いていただいたし、定年退職されたときにはお持ちの辞書をすべてもらったりした。GerryのおかげでJLD TimesのEditorにもなれ、またATA-certification examも受けてみよう、という自信を持たせてくれたのだと思う。またJapanese Patent Translation Handbook[5]にも記事を寄稿したりJLDで非常に活躍・貢献された方だった。
他には私がJLD TimesのEditorをしていたときにDTPをしてくださった石井 秀樹さん。いろいろと注文をつけてお願いしたことをやっていただいたことは非常に記憶に残っている。
JLD TimesのEditorに勧誘された際、記事執筆の依頼を受けた。IJET Austinで受講した鈴木 いづみさんによる通訳のセッションについての感想だったが、その当時通訳は学生時代のアルバイトを除き全然していなかったので、できるだろうかと思った記憶がある。
実は上智大学時代には文学をやりたかったので、通訳をやりたい人だったら専攻する英語学科ではなく、英文学科に進んだ。英語学科のクラスである有名な通訳者の講師が教える同時通訳のクラスも試しに受けたが、耳から入ってきてどうやって同時にやるのかという具合で口を開けたまま何も言えず、良い点を取れず、私は通訳者はできないと決めつけていた。また同じく大学時代に受験した、国家試験である全国通訳案内士試験(通称、通訳ガイド試験)では歴史や文化を知らなかったのでうまく行かず、通訳者には向いていないと勝手に思い込んでいたが、アメリカではデポジションのニーズがあり、依頼の電話がかかってくるようになったことから渋々始めたのが通訳の始まりだった。
JLDのことで強い印象を持っているのは、他の方もおっしゃっていると思うが、皆さん協力的でお互いサポートして感じが良いこと。
④自分にとってのJLDの意義とは何か。もしJLDがなかったら、どうしていたと思うか。
JLDとはATAの中での私のオアシスみたいな存在である。ATAのディレクターとしてJLDを外から見る立場になったときに、オアシスのようだと気づいた。
JLDがもしなかったらとしたら、JLDを作っていたと思う。日英・英日のグループがなければ作っていたと思う。ただしどんな存在になるかはわからないが、日英・英日特有のいろいろなことをお互いサポートできる内容。今のJLDでは会員同士で仕事の紹介もしており、これは役立つ。私は小規模エージェンシーも運営しており、仕事を任せられる優秀な人材を見つけたいとも思っているので。
他には仲間とのネットワーク。仕事を始めた頃は自宅や他の翻訳者のお宅等で「SoCal Honyaku Get-Together」と称してテーマを決めてパーティーをよく開催し、車で来れる範囲内の人が集まってくれていた。他の州でもあるように思う。翻訳をやっていると人恋しくなりやっていたが、通訳をやるようになってからいつでも人に会っているような状態だからか忙しくなったからか消滅した。ただしFacebookやiPhoneなどが出現したという時代の流れもあるかもしれない。今ではパーティーをしなくても良くなっている。
⑤今後JLDが目指すべき方向性は何か。
日英や英日(または英語が軸でなくても、日本語と別の言語)との、共通の課題に一緒に取り組んで、お互いにサポートして情報交換することではないかと思う。
⑥時代を経て、JLDが大きくなる中で、メンバーが重要視するJLDの価値観や理念などは変化したと考えるか。
基本的なことは変わっていないと思う。他の方と感覚がずれているかもしれないが、私としては変わっていないと思う。それは「お互いのサポート」と「情報交換」ではないか。
噂に聞いたところでは、他の言語では他の会員を競争相手として見ており、情報を共有したがらない。JLDというのは惜しみなくお互いをサポートし、情報を提供しあっている。それが理念と呼べるものかもしれない。
⑦Editor、Grader、ATA Directorについて、一番好きなところ、面白いところ、興味深いところは何か。
1. Editor
個人的にJapan Times Weeklyで編集記者として学んだスキルを用いてレイアウトや記事執筆の依頼などがまたできることが非常にうれしかった。自分のバックグラウンドを生かすことができ、またそれに触れられることが楽しくうれしかったのだと思う。
というのも、アメリカに戻ってきたときに高校時代の友人からLA TimesのMinority Programの記者にどうかと勧誘されたが、不合格だったのでアメリカではジャーナリストとしてやっていけないのではないか、と思っていたこともある。
またJapan Timesより二度ほど私の署名入り記事(byline)の執筆依頼があったが、報酬のわりに時間がかかり、書き直しが多く割に合わなかったし、インターネット時代ではジャーナリズムは下り坂になっていることもあり、翻訳・通訳に乗り換えて良かったと思っている。
2. Grader
新たなことを学ぶことが何より好きなので、Grader同志のトレーニングも好きである。また受験者の良訳にうならされる瞬間も好きだし、採点時に受験者の訳から学ぶこともある。ただ、なぜこんな高い料金を払って受験したのかと疑うような訳文もある。
またATAカンファレンス前のGrader研修では、Graderは皆がdedicatedなんだなと感じる。一般的にPh.D.所持者が多く、学が高いと感心してしまう。というわけで周りに刺激されたりGrader同志で刺激しあうことがあってよい。
3. ATA Director
ATAには、Service Directory (会員名簿)には会費を払ってプロフィールページに自分の名前を載せているが、何にも活動していない会員がいて、そういった人たちからはボランティアなどをしてWhat’s in it for me? (何の得になるのか?)とか意味がない、という声を聞くことがある。それは逆ではないかと思う。つまり仲間のために自分たちが貢献するという考えがあまりない。そういった考え方はどうやったら変えてくれるのかなと思う。
例えば、カリフォルニア州AB5法案[6]。翻訳者・通訳者はindependent contractor (独立請負人)ではなく従業員として分類されるべきだという法律だが、これは仲間で働きかけることで変えることができた、というのは非常に重要なことであることをわかってほしい。これを私は強調したい。つまり自分が委員になったら、何かいいことがあるの?という考え方ではなくて、自分を含めて会員、つまり同業者のために考える。会員数が多ければ多いだけ影響力があり何かを達成できる、そういう視点で見てほしいと思う。これは是非とも言っておきたい。
AB5法案は翻訳者・通訳者に有利な方向で変更されたが、これからも同じようなことが起きる可能性も高いから、団結しないといけない。ただ単に受け身でいるのではなく、自分たちも何かしなきゃ、変えることができるという意識で、皆がもっと積極的に参加してくれたらいいと望んでいる。
この視座はATA Directorを務めたから育まれたものではなく、それ以前から持っていたものだが、実際Directorになって驚いたのは、こんなに幅広いことをATAはしてくれているのかということだった。Directorになって初めて、全体的な視座をやっと得た。
例えば、年に4回あるミーティングのアジェンダは非常に多いしBoard Bookというものはプリントアウトすると非常に分厚く、全部読まないといけない。そうでないと受け身になってしまってこれからの対策などの意見が出せない。非常に大変だと思ったと同時に、こんなことをBoard of Directors (以下「Board[7]」)は今までやってくれていたのだと逆に思った。Directorのことはそれほど特別に大変だったわけではないが、ミーティングの準備などには時間がかかった。ちなみにこれ以外にも緊急ミーティングなどがあり、慣れてきたころには3年の任期が終了するころとなっていた。再選のために立候補することも考えたが、同居することになった孫の誕生もあり、すべてのことをうまくこなせないだろうと思い、断念した。
一方でBoardは認定制度やGraderのことや、JLDやその歴史のことはわかっていないことが多々あったので、それぞれの代表者がいないといけないと痛感した。さらにBoardがJLDから学ぶことも多々あると思うので、常々JLDから誰かがBoardにいたらいいと感じている。JLDはLanguage Divisionの中ではとてもよくまとまりがあり、他のLanguage Divisionがフォローすべき内容を持っていると思う。
ATAのBoardは多岐にわたる課題を検討しており、外部へ発信する必要もある。BoardやATAレベルの委員会でのメンバーとしての責務は重大だが、影響力もある。そういった意味でも、ATAはこれからも通訳者・翻訳者という職業がある限りは、影響力のある団体・協会として存続しなければならないと思う。
⑧AIやMTと、これからの業界。
AIによって、エントリーレベルの仕事がなくなる。どうするか?自分がアウトプットする言語にもっと自信を持ってできるような立場でないと、翻訳者・通訳者としてうまくやっていけないのではないか?OJT (On the Job Training)は緊張感のレベルも違うので実力につながると思う。
[1] The Honyaku Mailing list is a mailing list for English-to-Japanese and Japanese-to-English translators.
[2] “International Japanese-English Translation Conference” ( 英日・日英翻訳国際会議)の略称で、JAT (The Japan Association of Translators)が主催する、英日・日英翻訳者、通訳者が世界中から集まる国際会議で、毎年、日本と海外の会場で交互に開催される。
[3] JAT (The Japan Association of Translators)。JLDの姉妹団体のように扱われている。
[4] Gerry Goodingさんは下記のJapanese Patent Translation HandbookのProject Coordinatorおよび寄稿者の一人であり、ATA認定日英グレーダーやJLDのかつての会報誌であるJLD Timesの編集者も務めていた。
[5] Japanese Patent Translation Handbookは、ATA/JLDが1997年に刊行した出版物で、JLD会員には$25で非会員には$45で販売されていた。絶版。
[6] 正式名称は「Assembly Bill No.5」。カリフォルニア州で2020年に施行された法律(通称ギグ法、ギグエコノミー規制法)のことで、単発で輸送や配達等の業務に従事する「ギグ・ワーカー」を保護する目的だったが、その過程で翻訳者・通訳者等、本来なら「個人請負労働者」に分類される職業の区分分けも非常に厳格になってしまい、翻訳者・通訳者等にとって仕事が減ったりする可能性があった法案(実際にこれがきっかけで、廃業した仲間もいる)。当時この動きが全米に広がらないかとの懸念もATAなどにはあり、大きな嵐が吹き荒れていたが、ATAからの大きな働き掛け(アドボカシー)によって、これは未然に防がれた。
[7] Boardには、選挙で選ばれたPresident, President-elect, Secretaryの他に数名のDirectorがいる。一般的に任期は3年。
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